令和8年春の叙勲にて、本学名誉教授の柏木隆雄先生(フランス文学)が瑞宝中綬章を受章されました。
瑞宝章は、公務等に長年にわたり従事し、国家または公共に対し功労のある方に授与されます。
柏木 隆雄 名誉教授のコメント
この度は令和八年度春の叙勲の砌、瑞寶中綬章を拝受する栄を忝くいたしました。果たしてそれに値するかどうか、はなはだ忸怩たるものがありますが、今回のことは、最後に勤めた大手前大学の福井要理事長はじめ事務の方々が、申請の手続きを懇切にしてくださって、諸事万端、面倒な書式を埋めるのにご努力頂いたおかげと痛感しております。例えば私の履歴についても、いちいちその詳細にあたり、特に大阪大学在勤中のものは、まことに複雑、犀利を極め、担当された阪大職員の方々の煩労が思いやられるもので、各機関の担当者が払われたご苦労を知るにつけ、無事の沙汰があるように思っておりましたところ、この度の知らせを受け、担当の事務の方が四月二十九日の各朝刊の記事を喜んでおられるのを聞いて、私も安堵した次第です。
『猿蓑』の中の芭蕉の句「草庵に暫く居てはうちやふり」に去来が「命嬉しき撰集の沙汰」と付けた句(もっとも芭蕉が手を入れたもののようですが)のように、命永らえて、こういう有難いご沙汰があることを喜ばないといけないのですが、私事を申せば、ことのほか喜んでくれるはずの兄姉の多くが亡くなり、妻の両親も既に彼岸にあって、喜ぶ子供もないことを含め、実感として淡々としたものがありました。しかし、こうして過分の温かいご祝詞を各所から頂き、感慨を新たにしています。
「瑞宝章は、公務等に長年にわたり従事し、国家または公共に対し功労のある方に授与され」ると書かれているとおり、無事これ名馬にあたるかと恥ずかしい次第ですが、大した学問もできなかった者には、いささか皮肉に聞こえないでもありません。確かに大学院を出て1975年に初めて神戸女学院大学に職を得て以来、大阪大学、放送大学、そして最後の大手前大学で特任教授を辞したのが2024年の春ですから、じつにほぼ半世紀も教鞭を取っていたことになります。
神戸女学院大学でフランス語を教え始めた年には、同時に阪大教養部の非常勤講師を勤めたのですが、ある日阪大坂を上がって来る時行き合った数学科の女子受業生が、彼女が出た高等学校の同級生に、受講中のフランス語の授業が面白いと自慢したら、友人が私の大学の先生の方が面白いと競う話になり、よくよく話してみると、実は同じ教師(つまり私)だということに気がつき、大笑いになったと話しました。その女子学生と先日、じつに50年ぶりにメールのやり取りがあり、彼女がのちに阪大美学科に学士入学して、院に進み、アメリカにわたって今や現代美術の専門家として日米の現代美術界を牽引しているキューレーターの一人になっていることを知りました。私は彼女にその時の会話が私に教師としての自信を植え付けてくれたと返事しました。よく考えれば50年後、私がフランス語を教えるのを辞したのは、学生たちが自分の授業を「楽しんでいない」と自覚したからでした。もっと早くに気づくべきだったからもしれませんが、初期の体験がなかなかその現実に向き合わせなかったのかも知れません。
教壇に立たなくなってからは、時間がこれほども豊かであったかを実感する毎日で、毎朝6時前からパソコンに向かい食事の時間を除いて(食卓にいつまでもいると、何をしているの‼ 遊んでいないで勉強、勉強!と教育ママみたいな声が聞こえます)晩酌の時間まで、水声社で昨年11月から刊行されたバルザック『人間喜劇』完全訳全20巻の担当作品(全体のほぼ半分ほどの分量)の翻訳、解説に没頭しています。各巻優に800頁を超えるA5判の大冊で、毎週のように届く校正刷りに朱を入れ、来年6月の完成まで、年来の企図を無事果たせるよう自ら励ましているところです。
改めて、蕪辞を連ねる機会を与えてくださった山上浩嗣先生はじめ、阪大文学部の諸先生、職員の皆さま、これまでご厚誼を賜った皆さまに厚く感謝いたします。
2026年5月9日
柏木隆雄
柏木 隆雄 名誉教授の叙勲に寄せて
大阪大学名誉教授ならびに大手前大学名誉教授であられる柏木隆雄先生が、令和8年春の叙勲において瑞宝中綬章を受章されました。まことにおめでとうございます。柏木先生の長年にわたる教育・研究への多大なご貢献に、あらためて深い敬意を表します。
柏木先生は、1983年4月から2008年3月までの25年間にわたり、大阪大学文学部ならびに大学院文学研究科において、助教授、ついで教授として教鞭を執られました。2004年から2006年にかけては、大阪大学大学院文学研究科長・文学部長を務められました。大阪大学ご退職後は、放送大学大阪学習センター所長(2008–2011年)、大手前大学副学長、ついで学長(2011–2016年)を歴任されました。また、1999年にはフランス共和国政府よりパルム・アカデミック勲章(シュヴァリエ)を受章され、2013年から2015年まで日本フランス語フランス文学会会長を務められました。
ご専門はフランス文学、とりわけ19世紀の小説家バルザックの研究ですが、夏目漱石、尾崎紅葉、永井荷風、芥川龍之介、太宰治など、日本の作家とフランス文学との比較研究に関するご論考も数多く発表しておられます。近年は、『バルザック詳説』のほか、故郷である松阪での幼少年時代の思い出を綴ったエッセー集『心の中の松阪』や、松阪ゆかりの文人・芸術家四名を論じた評伝『本居宣長・本居春庭・小津久足・小津安二郎――伊勢松阪の知の系譜』を刊行されました。さらに現在は、2025年より刊行が開始されたバルザック『人間喜劇』全集(全20巻)のうち、およそ半数に及ぶ作品の翻訳と解説に取り組んでおられます。
このたび、このように幅広く豊かな教育・研究活動へのご貢献が高く評価されましたことを、心よりお祝い申し上げるとともに、柏木先生の今後ますますのご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
2026年5月 山上浩嗣
大阪大学大学院人文学研究科教授
人文学専攻 テクスト表現論フランス文学専門分野