インド学・仏教学

本専門分野は、主に古典インド語(サンスクリット、パーリなど)文献を用いて、思想・宗教・言語・文学・歴史などの諸分野に及ぶインドの古典一般と仏教学を扱う。授業科目として数種の原典読解演習と修士論文・博士論文作成指導演習を開講。学生は学部・大学院とも根気強く語学の訓練を積んだ少数精鋭である。研究室には、インド学・仏教学に必要となる膨大な文献資料が完備されており、学生一人一人が勉強・研究のための十分なスペースとPCを確保できる。また学生同士の、あるいは教員とのコミュニケーションも盛んである。学生はこうした環境の中で、諸文献・諸資料を使いこなすための必要な知識と技術とを習得するだけでなく、国内外における最近の学界の動向や最新の研究等についても情報を収集・活用することができる。各教員は大学外での教育・研究活動にも積極的に関わっており、また元助手・助教や卒業生の中には、海外に留学したり、欧米でPh.D.を取得後主要国立大学で教鞭をとるなどして、学界で活躍している者も多数いる。

教員紹介

教授 堂山英次郎 講師 名和隆乾

教授 堂山英次郎

p_doyama2023.jpgどうやま えいじろう
1972年生。大阪外国語大学外国語学部卒、東北大学大学院文学研究科博士後期3年の課程単位取得退学。文学修士(東北大学)、博士(文学、東北大学)。京都大学人文科学研究所助手を経て、2004年4月大阪大学大学院文学研究科講師、2014年9月同研究科准教授、2019年4月より現職。2007年日本南アジア学会第1回学会賞受賞、2008年第50回日本印度学仏教学会賞受賞。
専攻:インド学(ヴェーダ文献研究)、インド・イラン学、歴史言語学。
研究紹介
ヴェーダ語(サンスクリット語の古層)の文献を中心とする古インド語、及びゾロアスター教聖典『アヴェスタ』や古ペルシア語碑文等が伝える古イラン語を、歴史言語学の立場と、インド・イラン共通文化の観点から研究している。現在は、主にインド最古の文献『リグヴェーダ』を対象に、動詞組織、特に法(叙法、ムード)に関する研究を進める一方,これらの文献に見られる神話や世界観についても調査を行っている。
メッセージ
インドの文献研究は18世紀にまで遡りますが、真に科学的な方法論、道具、材料が揃ったのは最近のことです。かつて印欧語比較言語学を生み出す原動力となった古代インドの文献群はまさに宝の山であり、それらの本格的な文献学的研究は、人文学全般にとって計り知れない意義を持ちます。文献の精密な理解に基づいて、これまでの研究を発展させ、世界に発信してゆく意欲のある人を募集しています。
主要業績
「Rgveda I 82,「新しい歌」,1. Sg. Konjunktiv」『印度学宗教学会論集』27(2000):pp. 75-95;『リグヴェーダにおける1人称接続法の研究』文学研究科紀要45-2(2005);「古代イランにおける社会組織の再編」『国家形成の比較研 究』学生社(2005):pp. 232-257;「胎児がしゃべる」『2011年度大阪大学大学院文学研究科共同研究成果報告書』(2012): pp. 25–58;「Av. mazdā-再考」『西南アジア研究』81(2014): pp. 1–23;「インドラへの懐疑と信 ──RV II 12,5──」,『印度學佛教學研究』64(2016):pp. 261–268
概説・一般書
辞典項目担当:「ガンダーラ」、「ゾロアスター」(三木紀人・山形孝夫編『宗教のキーワード集』別冊國文学No.57、学燈社、2004);Der Rig-Veda: Das heilige Wissen (Erster und zweiter Liederkreis), Frankfurt am Main/Leipzig(2007)(共訳)

2019年 4月更新

講師 名和 隆乾

p_nawa2019.jpgなわりゅうけん
1984年生。大阪大学文学部卒、文学修士(大阪大学)、博士(文学、大阪大学)。2013年度日本学術振興会特別研究員、2016年4月大阪大学大学院文学研究科助教、2018年10月同研究科特任講師(常勤)を経て2020年4月より現職。
専攻:インド初期仏教文献学
研究紹介
仏教の黎明期を伝えるインド初期仏教文献を対象とした教理研究を行っている。現在は、非我説に立脚した輪廻思想である縁起説や、慈悲の修行実践である四無量心に主な関心がある。仏教の成立に先行・並行・後続するヴェーダやジャイナ教、部派仏教、叙事詩といった仏教内外の宗教文献を広く参照し、仏教教理の成立や変遷を、古代インド思想の大きな流れの中で捉える事を目指している。この他、インド仏教文献学の現代社会への応用や、いわゆるDigital Humanitiesの方面でも活動している。
メッセージ
経験世界の全ては移ろいゆく無常なもの。故に、何処にも安心出来る場所はない。全てが無常であるなら、ここに自己と看做し得るものは存在しない。私という存在もまた、自己ならざるものである、と見るのが仏教の基本的な世界観です。その観を徹底すべく修行する僧らの言動は時に我々の常識的理解を逸し、死を目前に、最後に一目、仏陀に会わんと望む僧に対してさえ、仏陀が「腐臭のするこの身を有り難がるとは何事か」と叱責した、との逸話がある程です。常識的「慈悲」とは程遠い世界がここにあります。
主要業績
共著: 『ブッダゴーサの著作に至るパーリ文献の五位七十五法対応語 —仏教用語の現代基準訳語集および定義的用例集 —』、山喜房佛書林、2014; 『『義足経』研究の視点 附・『義足経』訓読』、自照社出版、2019; 単著論文: 「Nidānasaṃyukta 20における遺体供養について」『日本佛教學會年報』、 vol. 78、2012、pp. 105-124; 「パーリ聖典における四無量心の予備的研究 : 四無量心と涅槃の関係について」『真宗文化: 真宗文化研究所年報』25、 2016、pp. 1-25;「nāmarūpassa avakkanti-について」『印度學佛教學研究』vol. 66、2018、pp. (52)-(57)。
概説・一般書

2020年 4月更新